ナビタイムジャパンは9月17日、昨年から今年の初頭にかけてQRコードを用いた乗車券の実証実験を実施した阪神電気鉄道(以下、(阪神電鉄」という)を迎え、法人を対象とした「モビリティ勉強会」をオンライン開催した。近年、QR乗車券に取り組む鉄道会社が多い中、阪神電鉄の担当者が鉄道会社にとってのQR乗車券の意義や潜在性について語った。
『なんでやね〜ん』と、はたくようにかざすとゲートが開く感じ
阪神電鉄は2020年3月から2021年2月までの1年間に渡って「QR乗車券」(QRコードを用いた乗車券)の実証実験を行った(画面1)。対象駅は、大阪梅田、野田、尼崎、西宮、神戸三宮の5駅。乗客がQRを自動改札機に読み取らせる方式で、普通乗車券を紙媒体(紙券)とスマホアプリで提供したほか、定期券(1カ月)、企画券(1日券、3日券)をスマホアプリ上で利用できるようにした。
実験での評価観点は明確だ。QR乗車券が利用客にとってわかりやすく、「パッとかざせる」かどうか。もう一つは、かざされた側の改札機がスピーディにサーバーへ通信・照合し、スムーズにゲートの扉を開閉できるかだ(画面2)。交通系ICカードのスピード(200ミリ秒)にはかなわないまでも、少なくとも磁気乗車券とは同等の処理時間で、ラッシュ時にも対応できるかが評価のポイントとなる。
利用客にとってのわかりやすさでは、紙券やスマホ画面上でのQRの表示位置が重要だ。紙券では中央か端か。スマホでは画面の上寄りかはたまた中央か。実験から得られた評価としては、紙券では端っこが、スマホ画面は上端が人気だったという。
また、かざされる側のQRリーダの大きさや、据え付け方(向きや角度)も、スムーズな検札に大きく影響する観点だ。結果は、「大型」で「斜め」の据え付けが高評価を得た(画面3)。
「関西人からすると『なんでやね〜ん』と、はたくようにかざすとゲートが開く感じが丁度よい」(阪神電気鉄道・都市交通事業本部 電気部 勤務課長の松本 康宏氏/写真1)
その結果、1分間に60枚のQR乗車券が通過可能であったことから、指標に掲げた「磁気乗車券と同等の処理時間」をクリアすることができた。その一方で、特にQR表示にスマホアプリを利用するパターンでは課題も見えてきたという。
改札を通るたびに「いちいちスマホアプリを立ち上げて、QRを表示するのが面倒くさい」という感想は、体験したことのない人でもうなづけるのではないか。ところが、「あれだけ鉄道で禁止している『歩きスマホ』に見えるのではないか?」との懸念は、まさに鉄道事業の「中の人」からの発想だ。
しかし、阪神電鉄ではこうした課題に対し、QR乗車券を否定する境地には至らなかった。「(鉄道の)ヘビーユーザーにはICカードを使ってもらう(のだから問題にはならない)」というのが社内の結論だ。
ICカード乗車券の置き換えは「考えていない」
ところで、阪神電鉄に限らず、このところQR乗車券の実証実験に取り組む鉄道会社のニュースをよく耳にする。交通系ICカードが広く普及した日本の鉄道業界にとって、QR乗車券とはどのような位置付けなのだろうか。
「関西でいえば全体の7〜8割、関東では実に9割(の乗車券)がICカードとなり、改札機に『接触する』磁気券は大きく減った。しかし、お子さんや、外国からのインバウンドが1回限りで鉄道を利用しようとするときに、無理にICカードを買って貰うことは難しい。このような場面で残る磁気券の処理コストを縮小したいというのが、QR乗車券の導入に期待する部分だ」(松本氏)
ICカード乗車券でフォローできていない券種としては、普通券(普通切符)のほか、「1日券」、「3日券」のような企画券などがあり、いずれも事前購入型の乗車券となる(画面4)。「ICカードはセキュリティ、耐久性など、どこをとっても本当に安定した媒体で、これを(QR乗車券で)置き換えていくことは考えていない。残る利用シーンをカバーするための媒体がQR乗車券だ」(松本氏)
QR乗車券であれば、印刷・表示する媒体として、紙券も磁気券も代替することができ、脱・磁気化が100%実現できる。鉄道会社からすれば、媒体側だけでなく、券売機の導入・設置にかかる費用負担も大きな負担となっているという。こうした磁気券のデメリットを解消することが、QR乗車券には期待されている。
「現在は数%(しか利用されない乗車券)のお客様のために大きなコストがかかっているのが実情。(QR乗車券への代替により)磁気券以外の乗車券が全体の99%以上に普及した瞬間に、必要コストをドスンと下げられる」(松本氏)
では、QRコード以外の媒体を採用する考えはなかったのか。松本氏は、「非接触クレジットカード」や「マイナンバーカード」、あるいはコロナ下で注目を浴びる「顔認証」などを乗車券の代替技術として挙げ、当初からQRコードに絞り込んでいたわけではなかったことを明かす。ただし、採用のための条件は「100%までカバーできること」だった(画面5)。
「電車に1回乗るたびに顔を登録するのはどうか。マイナンバーカードも普及しつつあるが、100%となるとなかなか難しい。お客さまがお持ちの媒体に依存していては、この山を乗り越えきれない」(松本氏)との判断から、これらの条件を満たすQRコードに白羽の矢が当たることになった。
サーバー処理の乗車券が、デジタルでの販売窓口構築を可能に
これらのコスト削減効果に加えて、QR乗車券で大いに注目されているのが、ICカード乗車券とは大きく異なる「乗車権利の情報を管理する方法」だ。ICカード乗車券の場合、ICカードの中に情報を記録しておき、自動改札機との間でローカルに読み取り・書き換えの処理を行う形態が基本だった。対してQR乗車券では、媒体には識別子としてのID番号のみが記録され、乗車権利の情報は通信ネットワーク越しのサーバー側に保存される(画面6)。この方法は近年のネットワークとサーバーの信頼性向上により実用的となったが、最新の乗車券情報がサーバー側に置かれたことで、インターネットを経由して他のデジタルサービスと連携するような付加価値機能を乗車券にもたらすことが可能となった。
「ICカードはスマホの中のICチップとも出会って羽ばたいたが、それ以外の媒体はいまだ磁気媒体にとどまっていて、デジタル界に羽ばたけていない」(松本氏)
実は、「デジタル界」との親和性という意味では、ICカード乗車券(スマホ搭載版を除く)も専用設備での情報の書き込みが必要となるため、専用券売機を通じてしか販売することができず、その点では磁気券と同様ともいえる。
松本氏は「これは私見だが」と断った上で、「出改札システム屋にとってのMaaSとは『鉄道乗車券のEC対応』、つまりデジタルの乗車券販売窓口を構築することだと理解している。航空業界などで当たり前にできていることを、ようやく鉄道でもできるようになるということだ」と述べ、リアルタイムにオンラインで乗車券が販売可能なQR乗車券の意義を強調した。
コロナや人口減で減りつつある『お出かけ』の機会を、デジタルで増やしたい
その上で、乗車券の販売先や、エリア内のサービス提供先などとも連携して、展開を広げていきたい考えだ。その一例として、ナビタイムの経路検索結果に「QR乗車あり」のアイコンが表示され、経路検索を利用したお客がその場でQR乗車券をオンライン購入できる動線が紹介された(画面7)。旅先にICカード乗車券は持ってきていたとしても、スマホ片手に経路検索に頼りつつ、気ままに行く先を決めていくような旅行であれば、その場でお得なQR乗車券の存在を発見して購入する流れは自然に思える。
こうした施策自体は必ずしもQR乗車券に限られず、ICカード乗車券であってもポイント還元などの工夫次第で提供可能な内容ではあるものの、サーバー側でリアルタイムにサービス内容を変えられる柔軟性は、これまで難しかった鉄道料金の「変動料金制」に道を開くことにもつながるという。
「キャンペーンやタイムセールのように、交通サービスがリアルタイムな商品を作ってお客さまのお出かけを促したりすることが考えられる。また、期間や時間帯によって乗車料金が変動するようになると、ナビタイムの経路検索では経路検索結果の順位が変わることになる。つまり、料金面で優位性のある経路が上位に表示されるようになり、お客さまがそれを選ぶといった具合に経路の評価順位を変えていく。これを用いれば、コロナ下にあってお客さまに安全に移動していただくこともできるかもしれないし、変動した料金を通じてお客さまの移動ルートを変更できる可能性がある」(ナビタイムジャパン・MaaS事業部 部長の森 雄大氏/写真2の左上)
こうした提案に対し、松本氏も「他のネットサービスとのコラボにより、お客さまの『お出かけ』を創出していきたい。コロナ禍や人口減によって減少していくであろう『お出かけ』の機会を、デジタル技術を使って増やしていくことを目指している」と賛同した。
外野からすれば、誰でも直感的に使いやすいICカード乗車券に比べて、利用に際して少しクセがあるようにも感じられるQR乗車券だが、その本質は媒体の変化にあるわけではない。乗車券サービスのオンライン化、デジタル化こそが変革の要であり、今後の鉄道会社のDX推進に欠かせない視点であることがよくわかる勉強会であった。