「Visaのタッチ決済」を公共交通機関の乗車料金支払いに充てる取り組みが、国内外で活発化している。横浜市交通局では今年10月から、運行する横浜市営バスの2路線で実験導入をスタート。通勤路線では現金の取り扱いを取り止め、バス車内の「完全キャッシュレス」についても可能性を探る。バス事業者がタッチ決済に期待する効果と、それを阻むかのように立ちはだかる課題のそれぞれについて報告する。
運賃50%還元施策も、バスでの「完全キャッシュレス」は法律違反?
ビザ・ワールドワイド・ジャパン(以下、「Visa」という)は12月14日、「Visaのタッチ決済」の公共交通機関への導入に関して、その進捗状況を報告するオンライン説明会を開催した。導入事例として、横浜市交通局で自動車本部長を務める原田 浩一郎氏が、今年10月から横浜市営バスで「Visaのタッチ決済」の実験を開始するに至った経緯や狙いについて説明した。
横浜市営バスの実証実験には大きく2つの取り組みがある(画面1)。10月1日から来年(2022年)9月末までの予定で実施されているのが、「通勤路線」への導入だ(画面2)。横浜駅前から大黒ふ頭内の港湾エリアを巡回する109系統の特急が対象路線で、料金は利用区間に拠らず一律大人220円(小児110円)。ここにタッチ決済を導入し、あわせて現金の利用を停止した。現金で運賃を支払ったり、交通系ICカードへのチャージをバス車内で行うことはできない(交通系ICカードによる乗車自体は可能)。
もう1つの実証実験は「観光路線」への導入で、山下ふ頭までの4ルートでタッチ決済により各観光バスに乗車できるようにした。こちらの実証実験は今年12月1日から開始し、来年(2022年)5月末まで実施される予定。料金はこちらも一律料金で大人220円(小児110円)。Visaのタッチ決済、交通系ICカードのほか、現金も利用できる。
いずれの実証実験も、料金は乗車時に支払う「前払い」式。観光路線の実験では一定期間(2021年12月1日〜12月5日、2021年12月〜2022年5月の間の毎月10日、20日、30日を予定)に限って、運賃の50%相当額をキャッシュバックする。乗車時にはいったん220円がVisaカードに課金されるが、後日にキャッシュバックされる仕組みとした。
原田氏はVisaのタッチ決済を実験導入した背景として、コロナ禍による外出自粛が自動車業界・バス業界の事業収入に与えた影響の大きさを挙げた。横浜市交通局の場合、2020年度の乗車料収入は159億6,800万円となり、前年の195億7,100万円に比べて40億円弱の減収に。損益は2019年度2.7億円の黒字から2020年度には32億円の経常赤字へ転落した。
こうした経営状況から、バス事業については「持続可能な事業として、収益性の改善、コスト構造の見直しなどが必須」(原田氏)。Visaのタッチ決済の導入は、短期的には乗客と乗務員の接触機会を減らすことによる感染症対策の意味合いが強いが、中期的には現金管理コストの削減も視野に入れる。「500円硬貨が新硬貨に変わったり、お札が新札になれば、運賃収受の設備にその都度、改修が必要になる」(原田氏)
その上で、タッチ決済を1つの解決策として、長期的には自動運転バスの導入促進などを含めた事業再構築や生産性の向上につなげていきたい考えだ。
そうした期待の一方で、今後「Visaのタッチ決済」がバス業界で本格導入に至るためには、個社を超えたバス業界のとしての取り組みが肝要だという。具体的には、「バス事業者にとって重要なことは、機器の購入費用や決済手数料、機器の保守費用、システム利用料などが現金管理コストを上回らないことは必須だ」(原田氏)として、決済事業者側にも注文を付けた。あわせて、バス業界を挙げた取り組みとして、コストの抑制や運賃収受システムの共通化が重要とした。
ちなみに横浜市交通局のデータでは、乗車人員数における支払方法別の占有率において交通系ICが現状、全体の89%を占めている。内訳の順位は、①交通系IC(定期外)67.0%、②交通系IC(定期)22.0%、③現金7.1%、④紙・磁気券(定期)3.4%、⑤その他0.5%、の通りだ。横浜市交通局が課題とするのは、7.1%が残る「現金」の取り扱いで、Visaのタッチ決済についてもこの現金の置き換えに期待しているという。
ただし、制度面での課題もある。先に紹介した実証実験では、通勤路線で「現金の利用を受け付けない」こととし、完全キャッシュレスを実現しているが、実はそうした運用は日本では鉄道法により認められていないのだそうだ。「法律では『旅客に対して差別的な取り扱いをしてはならない』という規程があり(現金の受け入れを拒否することはできないが)、今回の導入では関東運輸局と調整しながら、実証実験として行っている」(原田氏)
また、完全キャッシュレスでの導入後、バスに乗車した後になって現金が使えないことを知ったお客から苦情を頂いたこともあるそうで、制度と利用者の受容態度の両面でクリアしていかなければならない課題があるとの認識だ。
「Visa」以外のタッチ決済にはいつ対応するのか?
横浜市交通局が導入した「Visaのタッチ決済」のシステムは、クレジットカード大手の三井住友カードが支えている。「stera transit(ステラ・トランジット)」と名付けられたクラウドシステム型交通乗車システムは、タッチ決済やQRコードを認証媒体として利用できるのが特徴だ。
三井住友カードでは2020年7月の茨城交通を皮切りに、全国各地のバス事業者、鉄道事業者に向けてシステムを提供している。三井住友カード・アクワイアリング統括部グループ長の石塚 雅敏氏によると、同システムを採用した事業者からは「交通ICや磁気券に比べると、お客様がすでにお持ちのカードをクラウドで使えるため、柔軟な運賃収受が可能になる」との声が寄せられるなど、好評を得ているという。
特に企画乗車券のようなチケットは、販売単価が2,000円〜3,000円にも上ることが普通であり、従来の交通ICカードでは残高不足となって購入できないケースも多い。また、複数の公共交通機関をまたいで利用する「MaaS」では、チケットを事前購入する際にクレジットカードが使用されることが多い。そして、まさにそのカードを改札にタッチするだけでバスや鉄道に乗車できるわかりやすさがある。
加えて、「(コロナ禍で)通勤定期券はかなり減少している。今後も企業におけるテレワークの定着などが見られるため、減少していくのではないか」(石塚氏)との予測もあり、三井住友カードとしては「コスト効率」、「マーケティング」、「都市開発」といった観点をにらみつつ、交通事業者の取り組みを支えていきたい意向だ(画面3)。
また、タッチ決済の交通利用ではVisaが先行しており、ステラ・トランジットでも現状はVisaブランドのみに対応している。この対応の遅れは、技術面よりは、運用面の課題に起因しているそうで、「交通利用に対する国際ブランドのルールがまちまちであって、まだルールが制定されていないブランドもある」(石塚氏)
その一方で、コロナで消滅してしまったインバウンド客も2025年に開催される「大阪・関西万博」に向けて回復していくことを見込まれるため、2023年度までには他ブランド(Mastercard・JCB・UnionPay・Amex)にも対応させていくという。改札に設置するリーダライタやシステム自体は共通なため、「ルールの整備がなされれば、インプリして、ローンチしていきたい」(石塚氏)
同じタイミングで国内都市鉄道向けの相互直通運賃への対応も実装を目指していきたい考えだ(画面4)。
海外での普及のカギは「フェアキャッピング」。日本への適用は?
ところで、「Visaのタッチ決済」の公共交通機関への導入は、日本だけでなく世界各地で加速している。世界では700の公共交通プロジェクトが進んでおり、450以上の公共交通機関が導入済みだ(画面5)。1年前の同じ数値では公共交通プロジェクトが500、導入済みの公共交通機関が200だったので、かなり急速な導入ペースにあることがわかる。
Visa デジタル・ソリューションディレクターの今田 和成氏は「海外事例の特徴として、すでに導入から時間が経過した国や地域では新たな展開に踏み出しているところも多い」と総括する。具体的には、採用する「料金形態」の変化や、他の決済スキームとの共存に着目しているという。
2012年のオリンピック開催を契機に地下鉄やバスにタッチ決済を導入したイギリス・ロンドンでは、以降タッチ決済の利用が急増(画面6)。現金の管理コスト削減などの効果が出て来ているという。入れ替わりに利用が減っているのは、シーズンチケット(定期券)と交通系ICのオイスターカードだが、この背景には「Fare Capping(フェアキャッピング:上限運賃制)」と呼ばれる料金体系が影響しているという。
フェアキャッピングとは、「1日」や「1週間」などの単位で請求される上限金額があらかじめ決まっており、これを超える金額は請求されないため、実質的に定期券のように使える料金体系のこと。タッチ決済にもこのルールがそのまま適用されるため、利用者は料金を支払い過ぎてしまう心配をせずに利用できる。この影響もあって、2025年にはオイスターカードにもフェアキャッピングが導入される計画だ(併せてOpen Loopのシステムに変更予定)。
ただし、日本にもこのフェアキャッピングの導入がハマるかどうかは未知数だ。例えば期間をどのくらいの幅で設定するのかを1つ取っても、交通事業者によって考え方は異なるだろう。「即、ビジネスケースに影響してくるので、(フェアキャッピングの)期間や上限額については各社が慎重にご判断されることになると思う。海外では一般的な仕組みだが、日本ではまだまだ検討が必要ではないか」(Visaの今田氏)
導入年数が経過するにつれて、Apple PayやGoogle Payなどのスマホや、スマートウォッチを使ったタッチ決済の利用も伸びており、2021年9月時点ではタッチ決済利用者の4人に1人(25%)がモバイルやウェアラブルユーザーになったという(画面7)。
イギリスでは政府もサポートして、2023年にマンチェスター、リバプール、バーミンガムといった都市の公共交通機関へタッチ決済の導入を広げる計画。フェアキャッピングの導入も視野に入れ、料金体系のシンプル化を目指す意向だ。
導入に当たってVisaのタッチ決済と他の決済スキームを共存させる公共交通機関も増えている。例えばカナダのバンクーバーやトロントでは、Visaのタッチ決済と同じリーダを使って、当地で人気のデビットカードである「Interac」も使えるようにしていく方針。
また、FeliCaベースの「オクトパスカード(Octopus Card)」が人気の香港でも、バス事業者3社が、オクトパスと並べてタッチ決済を導入している。さらには中国本土からの乗客も意識して、AliPayなどのQRコード決済にも対応しているのが特徴だ(画面8)。
Visaの今田氏は、「『Visa』さえあれば、世界中どこへ行っても一日過ごせる、というのは重要なコンセプト。この一連の流れにおいても、公共交通機関のサポートは重要だ」と話し、日本国内における「Visaのタッチ決済」のより一層の普及拡大を目指す姿勢を示した。